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久しぶりに、映画ではなく本の話。 江國香織の本は、実はあまり好きではない。 というより苦手だ。 子供が主人公の小説はどれも良くて、 繰り返し読んでいる愛読書もあるほどだが、 エッセーとなると、粋で美しい日本語がやたらと出てきて、品の良さを押し付けられているようで息苦しくなることがある。 彼女の持つ独特の女っぽさも受け入れがたい。 それに通じるのか、女が主人公の小説もまあまあだ。 そうは言っても、何だかんだ何冊も読んでいるのだから、すごい作家だなと思いつつ、 それでもやはり、江國香織の書く小説に登場する女達を好きになれないことが多い。 「いくつもの週末」は、エッセーだ。 普段なら辞めておこうと思うところだけれど、 背表紙にある紹介を読んで、少し悩んだ末レジに向かった。 「結婚生活をつづった、甘く、ビターなエッセイ集」 とあったからだ。他にも「いつも週末だったら、 私たちはまちがいなく木端微塵」とか、 「嵐のようなけんか」とか、 「なぜか襲う途方もない淋しさ」とか、 何年かでも結婚生活を送ったことのある人ならば、 目の端にちらっと見えただけで体内センサーが キャッチするような文字がたくさん並んでいた。 背表紙の内容を読んだ限りでは、 わりと激しい感じの結婚生活を送っているように見える。 その点は私と同じだ。 あまり好きではないタイプの女が、 その激しい結婚生活をどのように過ごしているのか、 読む価値があると思い、買うことにしたのだ。 勘は当たった。 私の長い結婚生活の中で、本当はこうした方がいいんだろうなあとか、 こういう風に考えた方がいいんだろうなあと分かりつつも、 なぜだか頑なにそうすることが出来なかった事柄が、 みるみるうちに溶けてドロドロと流れていくのが分かった。 江國さんは結婚生活2年から3年というあたりでこのエッセーを書いている。 それは、現在の私の結婚生活より大幅に短く、 また、当時の彼女の年齢は30歳そこそこで、 現在の私の年齢よりも随分と若い。 そんな経験で、これほどのことが分かってしまうのか?という疑問(或いは尊敬、或いは嫉妬)もあったし、 時々出る美しい言い回しは相変わらずなので、 癇にも障ったが、それでも、語っている結婚生活については隠しごともきれいごともなく、 そして何よりも、それに向けられたエネルギーが巨大であると感じた。 膨大なエネルギーを投入した結果、 彼女自身の内からふつふつと沸いて出てきたことを、 言葉に置き換えているのだということがよく分かった。少なくとも、私はそういう風に感じた。 それを決定的にしたのは、彼女が読んだ小説の中から、次の2つのセリフが並べて引用されているのを読んだときだ。 引用(1) 「僕にはわかっているよ。君には根本的にわがままで、信頼できないところがあるんだ」 とアンドリューがいったことがある。 「僕にはずっとわかっていた。だから僕は君が好きになったんだけれどね」 「あなたのいうとおりよ」 と私は、少し悲しくなって、しかし気が楽になっていった。 「あなたなしで暮らしたほうが幸せになれるって私にはわかっているの」 「うん。そのとおりだと思うよ」 「あなたも私がいないほうがずっと幸せになれるわ」 「ああ」 (スイッチ・コーポレーション「描かれた女性たち」/「マイルズ・シティ、モンタナ」 アリス・マンロー著 川本三郎訳) 引用(2) ......もしポールが帰ってきて妻が彼のコートを着ているのを見つけたら、きっと始まるに違いない言い争いがもう聞こえるような気がした。 「自分のコートがあるじゃないか」 「べつにいいじゃないの。いまあなたはこれを着ているわけじゃないんだから」 彼の物を着ていると、何だか安心で、守られ、愛されているような気がすることを、きっとハナは説明しようとはしないだろう。 彼自身ではなく、彼の服のほうにより多くの慰めを見出しているという事実などどうでもいいことなのだ− ポールにとっては、何の意味もないことに違いない。彼の服はかつての二人が分かち合っていたものの思い出、かつての彼の思い出のようなものなのだと、彼にわからせることはとてもできそうにない。 それは死体に着せる屍衣のようなものだ。彼女はそれに身を包んで、結婚生活の中で死んでしまったものを思って泣くのだ。 (扶桑社「夜の罪」 タミー・ホウグ著 岡聖子訳) 江國さんは、この恐ろしい引用をした後で、 独身の読者は目を覆いたくなるに違いないという風に書いていたけれど、私はどちらかと言うと、 結婚経験者のほうがより恐怖を感じるのではないかと思う。 自分達夫婦が(或いは夫が、或いは妻が)、 その恐ろしいものに向かって突き進んでいるのではないかという恐怖、 或いは既に、その中にどっぷりと浸かっているのではないかという恐怖。 それらは、どんなホラー映画よりもよっぽど恐ろしいと思う。 私は幸いにも、たくさんの人がいる真昼の明るいコーヒー・ショップでこのくだりを読んでいたのだけれど、 それでも背中が冷たくなって、つい辺りを見渡してしまったくらいだ。 この2つの引用文は、エッセーの効果を考えただけで、並べられるような代物ではないと思う。 結婚生活について、夫について、妻について、 少しでも真剣に考えたことのある人ならば、 ここで語られている状況は特別なものでも何でもなく、それでいて、どんなに心を冷たくし、 どんなに心を空っぽにするかということが分かるはずだ。 引用文に対する江國さんのコメントはあまりなく、 (1)について、「ここまでたどり着かないと落ち着かない気持ちは結婚をしてからよく分かった」という風にだけ書いている。 彼女が、結局、そこへたどり着いたのか、 たどり着きそうな期待と不安の状態なのか、 それも分からないが、これらの文章が必然的に引用されたことだけは伝わってきた。 そういう女の言うことだから、すっと心に入ってきたのだろうと思う。共感しているのとも違うし、教えを乞うというのとも違う。 ぎりぎりのところまで行くことを恐れない根性の座った女が、真剣に何かをしているのを横で見ている感じがした。 あまり好きではないタイプの女なら、 私とは違う角度でモノゴトを見ているかもと思って読み始めたのだけれど、それ以上のインパクトがあった。 彼女の毎日の生活のしかたは、結婚生活のテクニックというようなものではなく、 動物的な勘のような印象を受けた。 動物的な勘、つまり理屈のないもの。 それが、ぎりぎりのところまで行ったから生まれたものなのか、彼女のもともとの性格なのかは分からない。 いずれにせよ、それは私に欠けているものである。 それを持っているのが分かるから、 江國香織はあまり好きではないタイプの女だったのかもしれない。 (2007年9月22日) |
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